
キープ・スマイリング(前編) 理事長 光原ゆきさん
こどもが入院すると、約4人に3人の親が病院の要請により24時間体制の「付き添い」をおこないます(*)。入院中のこどもに付き添う家族は、食事介助や排泄ケアなどに追われ、自身の食事は院内コンビニ頼みで、睡眠もままならない過酷な環境に置かれています。
そんな入院中のこどもに付き添う家族へ、「もの・食・情報」による支援をおこなっているのが、認定NPO法人キープ・スマイリングです。今回の前編では、同法人理事長の光原ゆきさんに、活動をはじめた経緯と付き添いをおこなう家族の過酷な現状についてうかがいました。 (*)2026年7月2日発表『付き添い白書2025』より。75.0%が「病院から付き添いを要請された」と回答。
活動の原点は、娘の付き添い入院
⸺ 入院中のこどもへの付き添いというテーマに出会った経緯について教えていただけますか。
私は30代で2人のこどもを出産しました。当時は会社員として忙しくもやりがいを感じながら働いていました。長女を妊娠したときは、冬に出産し、春には保育園に預けて復職するつもりだったんですが、生まれたその日に先天性疾患が分かり、生後5日目に大学病院で大手術。いざ入院となったときに病院の方から「親も一緒に泊まってください」と言われ、そのときはじめて「付き添い」という存在を知ったんです。
それから半年間、病院に泊まり込みの日々が続きましたが、長女は元気になり保育園に預けて復職できました。でも3年後に生まれた次女は、長女より難しい病気でした。産後すぐから付き添い入院しましたが、残念ながら生後11ヵ月で突然亡くなってしまいました。
同じ病気を乗り越えて元気になった子もたくさんいるので、まさか次女が亡くなるとは思っていなくて。突然のことで、自分としても現実を受け止められませんでした。会社から1ヵ月休みをもらい、毎日写真と動画を見返しては泣き続けていましたが、「彼女が生まれてきたことには何か意味があるはず」と思うしかありませんでした。
⸺ 簡単に気持ちの整理なんてつかないですよね。
そうですね。でも、彼女との出会いで経験したことを通じて世の中を少しでも良くできれば、彼女が生まれた意味をつくれると思ったんです。それまで仕事優先だった人生を、これからは彼女が生まれた意味をつくっていくことに捧げたい。そう思ったとき心に浮かんだのが、病院での孤独で過酷な付き添いの日々でした。
⸺ 実際に付き添いを経験して、どのような苦労や違和感がありましたか?
そもそも付き添いの環境は、病院によってルールがまったく異なります。親が付き添いを希望しても面会時間以外は一切会えない病院がある一方で、付き添いをしないと手術を受けられない病院もあり、「親に選択権がない付き添い」が7割を超えるのが実態です。
私自身、娘たちの入院で計6ヵ所での付き添いを経験しましたが、病院によってルールが違うことが不思議でした。親への食事提供の有無もバラバラで、まれに付き添い者の食事をベッドサイドまで届けてくれる病院もありますが、ほとんどは院内のコンビニや近くのお店にお弁当などを自分で買いに行かなければなりません。付き添い者用のシャワールームがなくて、近くの銭湯の地図を渡されるだけのところもありました。
ただ、どの病院でもいえることは、付き添いは大変で、過酷だということ。簡易ベッドは狭くて寝返りも打てないですし、ベッドが無くてこどものベッドに小さく丸まって寝なければいけないこともあります。産後だと当然腰も痛いですし、高熱を出して倒れたこともありました。
こうした現状を分かっている当事者という立場を経験したからこそ、同じように大変な思いで付き添っている家族を応援したい。過酷な環境を少しでも良くすることができれば、次女が生まれた意味をつくることにもなる。そう考えて、2014年にNPO法人を設立し、活動をはじめました。

食べられない・眠れない・目が離せない現状
⸺ 入院中の家族に付き添う家族の抱える困難について、もうすこし詳しく教えていただけますか。
私たちは、全国から3600人以上の当事者の協力を得て「入院中の子どもに付き添う家族の生活実態調査2022」を実施しました。その結果、付き添い家族の負担が身体的にも精神的にも経済的にもとても大きいことが数字として明確になりました。
付き添いが必要なこども(0〜14歳)の入院患者数は年間80〜100万人います(厚生労働省の患者調査からの推計)。そして付き添い者の8~9割は、食事介助、排泄ケア、清潔ケア、服薬、見守り、寝かしつけ、遊び、精神的支援など、多岐にわたる世話やケアを担っています。私たちの調査では、付き添い者の約8割が「睡眠不足」、7割以上が「食生活の乱れ」を訴え、さらに約6割が「経済的負担が大きい」と回答しました。

画像提供:キープ・スマイリング『2024年度 活動報告書』より
本来、入院中のこどもの身のまわりの世話は看護師の仕事で、親がいなくても成立するのが医療保険制度上の前提です。しかし、看護師一人あたりが受けもつ患者数は小児病棟も一般病棟も同程度で、大人よりも手がかかる小児病棟は常に人手不足となっています。
そのため、親は病院側からも事実上「無償の戦力」として期待されている状況にあります。ただし、制度上は親に看護業務を代替・補充するのは禁止となっているため、親は「存在しない」扱いになり、病院側が食事やベッドを用意する仕組みも義務も整っていません。そしてこの状況は30年以上前から変わらずにいます。
こうした「食べられない・眠れない・目が離せない」状況で、特につらいのは食事です。こどもが寝たすきに院内コンビニにダッシュし、隙間時間に急いで食べる。朝ごはんにヨーグルトとシリアルを用意しても、検査や検診で呼ばれて、やっとベッドサイドに戻ってくるとシリアルはぐちゃぐちゃになっている。食べる時間もなければ、何を食べたかも記憶にないような生活です。私自身、夜9時の消灯でこどもを寝かしつけた後の1時間が唯一ゆっくりできる自分の時間で、こっそりお菓子を食べることがささやかな楽しみでした。

あたたかい手づくりの食事で家族に笑顔を
⸺ 入院中のこどもに付き添う家族の食事環境について教えてください。
病院食を提供していない施設は8割を占め、付き添い者の約3割は1日3食をとれていません。その理由は「食べる時間がなかった」がもっとも多く、「節約するために食費を削った」が続きます。私の娘は泣き出すと酸素濃度が下がる病気だったので、常にベッドサイドを離れられず、起きている間はトイレに行くのも食事を買いにいくのも大変でした。院内コンビニの品ぞろえにも限界があり、毎日の食事となるとお金がかかるうえ栄養が偏ってしまうのもつらいところです。
⸺ そうした過酷な食事環境のなかで、印象に残っている出来事はありますか?
次女が京都の大学病院のICU(集中治療室)に入院していたときのことです。面会制限で会いたくても会えないので、外でごはんを食べようと、ふと目に止まった病院近くのおばんざい屋さんに入ったんです。そこで食べたごはんがおいしくて! やさしい甘さのだし巻きや卵や炊き立てごはん。冷めたお弁当や菓子パンばかり食べていたので、温かくて栄養満点の食事に救われた思いがしました。
その日の夜と翌日の昼もそのお店に行くと、大将が声をかけてくれたんです。付き添いでコンビニ弁当ばかりで……という話を私がすると、大将のお孫さんも入院していたことがあって、付き添いで家族が苦労された経験があると打ち明けてくれました。そして、「病院までお弁当を配達してあげるから、よかったら注文しなよ」と言ってくれたんです。同じ時期に付き添いをしていたまわりのお母さんたちにも声をかけて、それからお弁当を届けてもらうようになったんですが、これにどれだけ救われたか分かりません。
特に生きるか死ぬか分からないこどもを抱えていると、親は「自分のせいで」「元気に生んであげられなかった」と罪悪感を抱え、自分のことを我慢しがちです。そんなつらい状況にある人にとって、ごはんには心をあたため、支えてくれる力があると身をもって実感しました。
⸺ その実感が、食の支援活動につながっていくんですね。
2014年にNPO設立したあと、職場の同僚のつながりでドナルド・マクドナルド・ハウス(病気のこどもとその家族が利用できる滞在施設)を見学する機会がありました。製薬会社の社員さんがボランティアでカレーをつくって滞在中の家族にふるまっているのを見たとき、「付き添いでつらいときに誰かが晩ごはんをつくってくれたら、泣いてしまうほど嬉しいだろうな」と思ったんです。
これなら会社員として働きながら週末にできると思い、2015年に「ドナルド・マクドナルド・ハウス せたがや」で夕食を提供する「ミールプログラム」をはじめました。これが私たちのスタート地点です。月1回必ず続けるうちに病院とのご縁もでき、病院内の付き添い家族にお弁当を届けるようになりました。

画像提供:認定NPO法人キープ・スマイリング
病院内って室温が常に一定で、内装も無機質だし、季節感がないんですね。だからこそ食を通じて季節を感じられるように、旬の野菜を使って毎月40~50食のお弁当をつくっていました。お母さんたちも喜んでくれて、その声は本当に励みになりましたが、さらに多くの付き添い家族にも食を届けたいと思うようになっていきました。
そんななか、小ロットで缶詰をつくるベンチャー企業と出会い、常温で長期間保存できる缶詰を全国の小児病棟に届けるために製造しようと思い立ちました。米国の三ツ星レストランで日本人初の副料理長を務めた米澤文雄シェフにレシピ監修してもらい、野菜をたっぷり使ったオリジナル缶詰を4種類×1000缶つくりました。缶詰の製造には、京都にある障害者就労継続支援B型事業所にも協力していただきました。これだけの数を全国に届けるには会社員との両立は難しいと思い、2018年に会社を退職してNPO活動に専念することにしました。

(後編につづく)




